悲しみの果て

 

「悲しみの果てに 何があるかなんて 

 俺は知らない 見たこともない

 ただ あなたの顔が 

 浮かんで消えるだろう」

 

悲しい時に悲しい歌を聞く。

歌手は沈んだ自分の代弁者となりそっと背中に手を添えてくれる

 

だけどその後には背中を押してくれる歌も必要だ

 

学生の頃、聴いてた時はメロディがいいなーくらいにしか思ってなかったけど

働いて七転八倒している今だからこの曲の素晴らしさがわかる

 

悲しんだ後に、希望を見い出し前を向くこと

涙の後に笑いがあることで救われること

部屋に花を飾ること

 

最近、仕事でも身の回りでも辛いことが多くてローだったけど

この曲がシャッフルで流れてきてハッとした

ありがとう、エレカシ

 

素晴らしい日々を送っていこうぜ!

  

 

 

四半世紀に犬が教えてくれたこと

 

ブログを始めようと思う。

飽き性な自分がどこまで続くか分からないけれど。

 

今日は誕生日だった。25歳になった。25歳になっても寝起きの悪さとくせ毛は直らないことに朝絶望した。最悪である。どうやらコイツらとは一生付き合っていかねばならないようだ。流石に諦めるしかない。時間をかけて仲良くしていけたらと思う。

25歳ってことは四半世紀も生きたことになる。山登りに例えるならば3,4合目ってところだろうか。だいぶ登ってきたな、でもタフにならないと登頂は難しいんだろうな。抱負とかは追々考えていきたい。

 

彼女とドライブデートの予定だった。目的地についた頃、彼女の携帯が鳴った。かねてから具合の悪かった飼い犬の様態が急に悪くなり、病院に搬送されたとのことだった。彼女がその犬を心から愛していることを知っている。本当に可愛い柴犬だ。

高速を飛ばし病院に着くと、無機質な管から酸素を送り込まれ、必死に呼吸を繰り返す見慣れた犬が治療台に横たわっていた。腫瘍が肺まで転移していて呼吸器なしでは生きられないとの獣医の見解だった。ついこの前公園で一緒に遊んでいたのに信じられなかった。何時間そうしていただろうか、皆で身体をさすり奇跡を祈っていた。が、奇跡はおきなかった。辛うじて一定のリズムを刻んでいた電子音が連続的な音に変わった。身内が健在の自分にとっては初めてのリアルな死の体験であった。彼女とその家族の泣きじゃくる姿が今も忘れられない。

 

自分の誕生日に、彼女の家の犬が死んだ。

 

ただの偶然にすぎないのだろうけれど、自分としてはそこに何かの意味があるようにしか思えなかった。25歳の節目の年に、その死をもって生きるということと、愛し愛されることを教えてくれた一匹の犬。ありがとう。くせ毛なんか気にしないで精一杯生きるよよ。

君は確かに皆に愛されていたよ、ありがとう。マリ。